モチベーションアップのエバンジェリスト(伝道師)
ウリ坊です。
今日も燃やせハート、やる気フルスロットル!!
固執は個性とは全く違う
最初から仕事のできる人はおそらくよっぽどの天才
出ない限りいないのではないだろうか?
最初は、「真似」から始まるのではないだろうか?
交渉のうまい人、電話応対の素晴らしい人、発想の
豊な人、段取りの上手な人、クレーム対応のうまい人
、数字にめっぽう強い人、お客様に可愛がれる人など
周りにはそんな見本になる人が必ずいるものだ。
そんな人たちを徹底的に観察し、自分との「違いを
もたらす違い」探し、素直に真似たりすることだ。
目に見えてることばかりではない、見えない部分はみ
ているだけでは分からない。というよりは、体感できな
いといった表現が的を得てるかもしれない。
その体感を得る為にも「真似」てみるしかない。
そして、どうしてもうまくいかなければ聞いてみれ
ば良い。存外、そういう人は真剣に学ぶ人間には、
おしげなく教えてくれるものだ。
茶道の中に「守破離」という言葉があります。これ
は、茶道の修行段階を教えたものであったのですが、
転じて日本の諸武芸に於いても修行の段階を説明する
言葉として使われています。
その守破離とは、物事を習得する上での段階を三つ
に分けた言葉です。
「守」とは、師匠の教えを正確かつ忠実に守り、剣
道における基本の作法、礼法、技法を身に付ける、い
わば「学び」の段階。
「破」とは、それまで身に付けた技や形をさらに洗
練させ、自己の個性を創造する段階。
「離」とは、さらに前進させ、自らの新しい独自の
道を確立させる最終段階。
自己を常に発展させるべく修行、精進を重ねていく
終わりのない道です。
以って第一段階の「守」をいかに綺麗に身に付けるか
で、その後の全てが決まるのだと思います。
初めに良き師匠に巡り合えることも、また重要なこと。
このように古くより物事の学びの順序は確立されてい
るわけです。これは茶道や武道に限った話でないことは
容易に想像がつくのではないでしょうか。
真似という言葉と対比して「個性」という言葉があり
ますが、これは真似の反対語というわけではありません。
よく「人真似でない個性」とか言いますが、そもそも
真似の段階は「守」であり、本当に意味での個性の発現
は「離」の段階と言えるのではないでしょうか。
どう考えても「守」から一足飛びに「離」には行けません。
もし、個性が必要だと称して真似る(学ぶ)ことをし
ない人は個性ではなく「固執」してるだけにすぎないと
思うのだが・・・・・。
皆さんはどう思われるだろうか?