諌言(かんげん)、つまり目上の人の非を説いていさめる行為に
私心があってはならない。私心があっては諫言と言わない。
それだけでなく葉隠の作者は、諫(かん)、つまり、いさめるという
言葉そのものがすでに私心から生まれているとまでいう。
織田信長が歴史の表舞台に登場する前、「うつけ」(阿呆)ぶりに
手をやいたお傅役(もりやく)の平手政秀は、諫言を残して割腹自殺
した。これなどは諫死(かんし)の代表的な例であり、後の信長に大
きな影響を与えたとされる。
だが、「葉隠」流の解釈によれば、政秀の行為も私心ということに相
成るのか。
有能な腹心は、面と向かって反論せずとも上司の意見を変えさせる。
しかもそれは、上司が腹心の態度に気づいて意見を変えるのではなく、
自ら進んで別の意見にバージョンアップする、といった方が正しい。
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